甲子園出場

武修館高等学校 野球部

 武修館高等学校野球部は、部創設40年にして、強豪校がひしめく北海道北大会で、2回目(平成22年は、北大会で惜しくも準優勝)の決勝戦では、釧路から駆け付けた全校応援の中、見事勝利し、初の甲子園出場を果たしました。
  1回戦 対深川西高校  4−1
  2回戦 対天塩高校   9−5
  準決勝 対旭川大学高校 4−3
  決勝戦 対釧路工業高校 8−5

 甲子園では、台風の影響で史上初の開幕から2日延期などにより、大阪到着から初戦まで3週間ほど、暑さに慣れもなれ、良い調整をすることができました。
 応援スタンドには、在校生や父兄、学校関係者や釧路市長、大阪釧路の会など6百名ほどが、アルプススタンドから揃いのTシャツ・メガホンで応援しました。
 青森代表の八戸学院光星高校は、甲子園で準優勝をするなど全国屈指の強豪校ですが、武修館高校の初回の好守備で、順調に始まり、4回に1点を先取し、初戦突破に向けて大きな期待が膨らみました。

 残念ながら、4対2で初戦突破はなりませんでしたが、次の甲子園へ向け、3年生が抜けた新たな顔ぶれで野球部の練習に熱がこもっています。
釧路からは35年ぶりとなる甲子園出場に、地域の皆様より、多くの支援・応援をいただきましたことを厚くお礼申し上げます。

創立50周年を迎えて( 雑感)

学校法人 緑ケ岡学園理事長
釧路短期大学学長
西 塔 正 一

 わが学校法人緑ケ岡学園は、本年創立50周年を迎えました。
 学園創立は、戦後20年を経、日本が高度成長期に向かう昭和39(1964)年1月、道東の開発にとって男子と同様に女子の高等教育の必要性をかねてから唱えていた故岡野佐太二氏(初代理事長)や設立発起人会委員であり、広大な土地を寄贈された故佐々木正雄氏(二代目理事長)等の大いなるご尽力によって創設されました。また、同時に釧路女子短期大学(現釧路短期大学)と、釧路女子短期大学附属高等学校(現武修館高等学校)の二校が開設されました。
 その後、昭和40年に緑ケ岡幼稚園(釧路短期大学附属幼稚園)を開園、昭和48年、10周年時に男女共学制の変更に伴い、短大・高校とも「女子」を除いた校名に改称。平成元年に釧路情報処理専門学校(現専門学校釧路ケアカレッジ)を開校、平成17年には中高一貫教育の新しい理念に基づく武修館中学校を開校して現在に至っています。
 今日までの本学園の歴史(歩み)は、如何だったのか。もちろん、歴史は、単に過去の出来事や記録の積み重ねなのではなく、そこに関わった当事者一人一人の生活の中にあり、生活はその人の想いや心にあり、当然、各人の学園の歴史観(想い)は、各人各様相違します。ある出来事、記録は、その人なりの意味を追求することに他なりません。この私も釧路短期大学の教員として、38年間勤めてきましたので、学園50年の歴史の内四分の三程は、私自身の立場から多少認識しているつもりです。
 本学園の歩み(に対する想い)は、当時の記録等からも推察できますが、きわめて波乱にとんだ50年ではなかったかと思います。創立当初から、歴史の各ステージにおいて、総じて私学としての理念と現実、教学と経営との相克、今般の少子化・人口減少社会の進行、それに伴う入学定員不充足、そして財務状況の厳しさなど、平坦な道ではありませんでした。今もこの状況は変わりません。
 しかしながら、新旧の交代の中、多くの後継者が、建学の精神「愛と奉仕」の理念の基で、一味同心、釧根地域唯一の私学として地域に根差した教育研究を実践し、幾多の困難、試練を克服して50年目の記念すべき年を迎えたとの想いを深くしています。そして文部科学省、北海道、釧路市の行政機関、日本私立学校振興・共済事業団等の各私学団体のご指導もあり、また、歴代の役員・教職員の弛みない努力とともに、学生・生徒・園児・同窓生、そして保護者の皆様方のご協力とご支援のお蔭で、財政上も改善の証が見え始めており、衷心より、各関係者の皆様方に幾重にも感謝を申し上げる次第です。
 さらに、学園の構成員として、また自分達の仕事や生活と直結している事として考慮しなければならないのは、本学園の将来・新しい歴史のステージです。
 結論から言うならば、すでに全学懇親会や広報等で申し上げていますが、「建学の精神」「改革」「地域社会」「一味同心」「学生・生徒・園児の最善の利益」「自己点検・評価とPlan-Do-Check-Act( 計画- 実行- 評価-改善)サイクル」をキーワードとして再構成し、実行していかねばなりません。もちろん、学園(学校法人)の社会的性格(公益性)から教職員も、「情報開示」「法令順守」「説明責任」「社会的責任」を常時個人として組織として自覚していなければならないことは当然です。そのことが学園に所属する全ての学校の社会的評価や信頼性を高める所以と考えています。
 その例として、短大では、昨年から今年にかけて、文部科学省と日本私立学校振興・共済事業団とが共同して実施した教育の質的転換、地域発展等の改革に取り組む私立大学等に対して、経常費・設備費・施設費を一体として重点的に支援する「平成二五年度私立大学等改革総合支援事業」に、日常的に取り組んでいる教育活動などを申請した結果、タイプ1「建学の精神を生かした大学教育の質向上」(大学教育質転換型)、タイプ2「特色を発揮し、地域の発展を重層的に支える大学づくり」(地域特色型)の二つのタイプに、北海道内では、唯一わが釧路短大が同時に選定されました。これは、本学教員の地域に根差した教育研究や社会・地域貢献活動が、「教育と研究と実践(フィールド)」の調和を踏まえた優れた活動であったことが広く認められたことの表れであり、その結果、私学助成金の増額となり、学園経営の健全化に貢献することができました。
 また、一方、武修館高等学校・中学校では、中高一貫教育の成果として創立50周年の節目に花を添えた東京大学現役合格、北海道大学三年連続合格等を実現いたしました。そして、未だ慶びで興奮冷めやらぬのが、武修館高校野球部の甲子園出場です。武修館の教育目的・方針に基づく人間教育の実践と文武両道の大願成就の年であったことです。積年のエートスと新監督、部長の指導力、選手一人一人の自覚と心身の鍛錬とが相まっての大成果と言えるでしょう。このことは、武修館高等学校・中学校として、さらに新たなまた具体的な、そしてより大きな目標として掲げざるを得ない使命を課せられたと思います。
 「不易流行」(芭蕉の俳諧用語)、「脱皮できない蛇は滅びる」(ニーチェ、曙光)の言葉が懐かしく思いますが、正に本年50周年を契機に学園全体が、また、各所属校が脱皮しつつあると私には感じられます。
 「子曰、吾五十而知天命」(論語、為政編)とは、「吾」を「学園」と換言すれば、「天が50年の記念の年に、わが緑ケ岡学園に与えられた使命とは」如何なることか。
 “以前”への感謝と同時に“以後”の責任の大きさを感じないではいられない心境です。
 「地域密着」「地域共創」「社会・地域貢献」そして『未来共創』の緑ケ岡学園へ。